湘南台は1960年に策定された北部工業開発計画に基づいて実施された、北部第一区画整理事業によって造られた街です。地名の由来は1966年に開設された小田急の新駅が、駅名を「湘南」にして欲しいとする地元の要望を汲んで湘南台と名付けられたことにあります。
都市計画は「都市計画法」、区画整理は「土地区画整理法」を根拠として政策的に実施されます。まず、それぞれの都市が直面する課題をもとに将来像を描いたビジョンとして、都市計画が立てられます。これにより、広域の土地利用である「用途地域」と道路などの交通網について、大まかな方針が決まります。
この都市計画を受けて行われるのが区画整理です。区画整理とは設定区域のなかに広い道路を配置し、整形された区画を作り出すことで不動産価値を引き上げ、公園などの公共施設を整備して居住環境を整える事業です。
今回の展示では、湘南台地区の核となった円行と今田を中心に、湘南台の街が形成される過程について、道路や都市計画を通じて考えてみたいと思います。
最後に、貴重な資料をご提供いただいた市民や関係機関の方々に、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
2019年(令和元年)10月28日
藤沢市文書館長
江戸時代の円行村と今田村は、川沿いに集落と田、台地上に畑が広がる地勢でした。街道から外れた場所に集落が発達し、田畑の区画にあわせて入り組んだ道路が張り巡らされていました。
明治時代になると、道路は重要度に応じて、国道・県道・里道に分類されました。車両の使用も解禁され、荷車の轍で道路補修を頻繁に行う必要が生じましたが、その費用はそれぞれの管理者が負担することになります。
1884年に円行村や今田村など6村が合併し、六会村が成立します。六会村役場や小学校がある中央部には里道しかなく、この道路は生産物を藤沢に搬出する重要道路であるにもかかわらず、自前で維持管理することを余儀なくされていました。
1919年の道路法制定にともない、新たな県道や郡道が設定されることになりました。六会村は主要道路の昇格運動を行いますが、村の道路事情は昭和になっても大きな改善が見られないまま、1942年の藤沢市合併を迎えました。合併書類に残された交通事情を読み解くと、円行や今田はいずれも交通不便と回答されています。
戦後も六会北部の道路事情は改善されず、円行の自治会は「産業開発の先達」として早期の改修を求めていました。しかし、1956年の藤沢綜合開発計画に北部地域の開発は入っていませんでした。
1959年暮れに藤沢市へいすゞ自動車の進出計画がもたらされ、土棚開墾地への誘致を成功させました。しかし、いすゞは物流の妨げとなる道路の改善や高圧電線のつけかえ、都市ガスの導入や従業員および子弟のための学校建設などのインフラ整備を藤沢市に要求します。市はこれに「積極解決する努力と決意」を示したことで、北部地域の都市計画を急遽策定する必要が生じました。
1960年に策定された藤沢北部工業開発計画は、市内北部を工業地域と規定し、物流を支える高規格な道路整備と、工場労働者の居住地として小田急沿線を住宅団地として開発する方針をまとめます。これを受けて藤沢総合開発計画を大幅に改訂し、目玉となる北部第一土地区画整理事業に着手します。こうして、区画整理の形で悲願であった道路整備がなされることになりました。
北部第一土地区画整理事業は、小田急の新駅を中心に東西軸の円行東西大通りや南北軸の幹線道路、周回道路を整備しながら、大小13ヶ所の公園や広い学校用地も用意して、ゆとりある良好な居住空間を提供する計画でした。
1966年に湘南台駅が開設されると、湘南台は首都圏のベッドタウンに組み込まれ、円行と今田の常住人口が急増しました。駅の周囲は商業地として計画され、ビルやマンションが建設されました。当初は殺風景だった駅前も、徐々に賑わいを見せるようになりました。
1980年台になると、湘南台は「新しいまとまりをもった、文化的香りのある町なみ」を目指した副都心の形成へ、質的な変化を見せました。行政施設や文化施設が集中的に整備され、1999年には相鉄と横浜市営地下鉄が開通しました。地上のバスターミナルはバス交通の拠点となり、湘南台は道路と鉄道が完備された交通結節点として、藤沢市北部の副都心と目されるようになりました。
かつての円行と今田は、街道から外れ道路改修を悲願とする地でしたが、現在の湘南台地区は、都市計画道路にトラックなど重車両が行き交い、区画整理で幅6mの区画道路が完備された町なみになりました。充実した公共施設や商業施設を背景に、藤沢市北部の副都心とされています。また、交通インフラにも恵まれ、来街者が極めて多いターミナルになりました。
このように、湘南台地区は「ハード」については完成しましたが、街の活力を維持するためにも、対応策が今後の課題です。そのためには「ソフト」の面から湘南台の魅力を高め続ける必要があります。
2018年に改訂された「藤沢市都市マスタープラン」が描く湘南台の将来像は、藤沢市北部の玄関口として、各大学や事業者、遠藤の健康と文化の森などと連携しながら、街の成熟化を図ることを期待しています。その鍵として文化が育まれることが期待されており、現在は市民と行政の協働によるまちづくりが進められています。
六会村の道路事情
北部工業開発計画
湘南台のまちづくり
おわりに
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