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『藤沢市史ブックレット13相模国渋谷荘と鎌倉御家人渋谷氏』購入の皆さまへ(訂正とお詫び)
『藤沢市史ブックレット13相模国渋谷荘と鎌倉御家人渋谷氏』につきまして、「おわりに」の内容に誤りがございましたので、お詫び申し上げます。詳細は次のとおりです。
拙著『相模国渋谷荘と鎌倉御家人渋谷氏』の訂正とお詫び
「おわりに」P121で、
「永禄二年(一五五九)二月十二日に作成された小田原北条氏三代氏康の主要な家臣を書き上げた帳面である『北条氏所領役帳』の中で、渋谷荘故地の一部を支配した武士に綾瀬市吉岡の岡本八郎左衛門政秀と小園の高城胤辰がいる。岡本・高城はともに薩摩国の地名であり、西遷した渋谷一族の子孫なのである。
相模国渋谷荘の地名を名乗りとする一族が、遠く離れた薩摩国寄郡で活躍し、その子孫で、薩摩国の地名を名乗る一族が戦国時代に相模国渋谷荘で活動する。」と記した。
しかし、下線部は誤りで、高城氏は下総千葉氏の一族である。戦国時代の渋谷荘故地の様子を知るため『北条氏所領役帳』を調べたところ、岡本・高城の名前が見え、ともに渋谷氏が薩摩国で支配した地名であるため、上記のような判断ミスをしてしまいました。ただ、渋谷氏は千葉氏の薩摩国の所領を継承し、千葉氏の一族高城氏も薩摩国の地名を称しているらしい。岡本氏の出身は不明である。西遷・北遷御家人と名字の地である相模・武蔵の本拠地との関係は、鎌倉幕府滅亡以後。どのような関係になっていったのか、関係は全く絶たれてしまったのでしょうか。
南北朝期には、渋谷氏・本間氏などは明らかに本拠地で活動していますし、関東公方の奉公衆にも、梶原氏・海老名氏・本間氏・愛甲氏・三浦氏・座間氏・飯田氏・香川氏・曽我氏などの相模武士が検出されています(山田邦明「鎌倉府の奉公衆」『史学雑誌』九六―三、一九八七年)。岡本・高城という薩摩の地名を名乗る武士が戦国時代の渋谷荘故地の領主として見えることが、ただの偶然なのでしょうか。もう少し調べてみたいと思っています。しかし、拙著の記述が不適切であることは明らかなので、謹んで訂正してお詫び申し上げます。
二〇二五年五月十七日 古稀を迎えて
久保田和彦
以 上